積徳

徳を積む

量×質

量×質と表されるとなんとなく納得してしまうけど、「ちょっと待った」という事案が合った。 コンプライアンスで直接言及できないので、学力で例える。

学力=勉強の量×勉強の質 といったとき、これは筋の良い分解なのか。

勉強の量を時間だと考えるとする。 その場合、勉強の質は、時間あたりの学力だ。 でもその質は時間に依存して良くなっていくだろう。 勉強するに連れてどんどん効率上がっていく。 結局、勉強の質も時間に依存するのなら、せっかく分解したのに単純化できていない。そういうところを「なんだかなー」と思ってしまう。

数式で表現できる関数ならば、積の形で表現できる。 $y = \log{x}$ だって、 $y = \frac{\log{x}}{a} \times a$ といった分解ができる。 でもこんな分解をしたところで何かわかりやすくなったかというと微妙だ。

もちろん学力の場合、そんな正確さを求めて記述してはいないだろう。 あくまで、「量も大事だし、質も大事だよね」くらいの主張だ。 ただ意図せずにミスリードになっている場合もある。気をつけたい。

今日もわからなかった

発表が上手く行かず,先生方に指導を受けている.自分の資料を見て,何かがおかしい気はする.しかし何がおかしいのかがわからない.流れが悪いと言われれば,そうかもしれないと思える.といって,どうすれば良くなるのかはわからない.あちらを立てればこちらが立たない.荒い編集を繰り返している間に未定義の言葉が出て来てくだらない指導までしてもらうことになる.情けもない.

同期に教えてもらうことも多くあれど,助言の取捨選択という苦労がつきものだ.一見して食い違う助言を,確認して突き詰めるべきなのか,私の側で消化するべきなのか.もっとも突き詰めることができるほど反射神経が良くもなく,鵜呑みにして消化されるのを待つだけになる.そして消化されることなく,なくなってしまう.

そうなりたいと少し思う

ABC予想を証明したとする論文が発表された際に、論文を書いた望月先生の個人ブログが少し話題になっていた。見に行くと、先生は少し前時代的な、懐かしい個人ブログをされていた。歌番組やAKBの話から、自分の数学理論へ話をつなげている。お偉い先生でもテレビとか見るんだとかAKBを知っているんだとか、親近感を覚えた。こんなブログだれが見るんじゃろうかとか思ったりした。普段は多くの注目を集めることはなくても、個人の趣味で続いている。他人の評価に依ることもなく、ただ満足のためにブログを書いているのだろう。その自己満足さ加減が素敵だと思った。

久しぶりにブログを書いてみるのもありかなと思って書いている。相手を意識しないのであれば、公開する必要なんて無いのではないか、とすでに思い始めている。それでも公開してしまうのは、他人の視線を感じたいという気持ちがあるからか。寂しがりなのかもしれない。望月先生も、僕も。並べるのはおこがましいかだろうか。

そういった寂しさまでも超克して自己満足の世界をつくり続けている人が、森博嗣さんタイプなんじゃろうな。彼の活動もやっぱり素敵だ。結局は自信を持って活動を続けている姿を格好良いと思ってしまうんだろう。そうなりたいと少し思う。